「歴史の猖獗」

年初は、コロナ禍以来の海外でインドネシアで過ごした。

そこで、長年閉ざしていた扉をぐわっと一挙に開いてしまったような感触。

 

思想・哲学とほぼ同時に「塩漬け」にしてきた「歴史」に「復帰」せねばならない時を迎えている。

「歴史」は、常に回帰すべき「原点」、あるいは「αでありωでもある」、というべきかもしれない。

 

「塩漬け」にしてきたというのは、課題感のストックは具体的にあるが、「取り組むのは『今』ではない」として「棚上げ」にしてきたことを意味している。

それが「いつ」というのは分かっていなかったが、その「時」が来た。

自分の中の準備とか、(少しだが)蓄えてきた「力」がある。

 

「歴史」といった場合、自分の場合、カバーしたい・しようとする範囲やテーマがあまりに広大・巨大過ぎるという、それ自体の課題がある。

学生時代に立てた志は、「(通史・一般史としての)『アジア史』『アジア経済史』を叙述したい」というものだ。

目的は、「『アジア人』としてのアイデンティティ」創出(もしくは「捏造」)のためだ。

我ながら、よくそんなことを考えられたものだと呆れる。笑

が、回帰したのはその地平だ。

 

しかし、「歴史」で取り組みたいのはそれだけですらない。

そして、自分はいわゆる「歴史学」をやりたいのでも、「歴史学者」になりたいのでもない。

(「歴史学者」はとかく倒錯しがちだが)「歴史」自体が目的になってはならぬ。

「歴史」は未来創出のための「ツール」であり「プラットフォーム」である。

そうあるために、常に「回帰すべき原点」として更新されていかなくてはならぬ。

それが、自分自身の「歴史」像である。

 

自分は、「戦後史学(界)」総体に対して、極めて批判的なスタンスを持っている。

それについても、いずれ詳しく述べていくだろう。

本ブログは、自分の「歴史」研究総体を、本格的に展開することに目的があるのではない。

が、目指しているプランや、大まかな考え方、それらの整理を行っていくことはできるだろう。

 

差当りの課題感について整理しておこう。

今は、別垢でも併せつつ、自分のカバーしようとする広大な関心範囲を少しずつ吐き出しつつ、自らの「歴史」に対する射程を見定めようとしている。

「歴史」へのリハビリと、再トレーニング・プラクティスを行おうとしている訳だ。

(そのために複数ブログに分割している訳だ)

どの枠で何を扱うか?も徐々に定位するよりなかろう。

 

視座や取り組みたい対象は割とクリアな一方で、「方法論」を未だ明確に言語化できていない。

対象が多様だからというのもあるが、はっきり言えば、目的が遠大過ぎ、絞り込めてないと言わねばならないだろう。

「遠大な目的」は、上記の「アジア史/アジア経済史の叙述」以外にもある。

が、ここですべてを述べる余裕も、今その必要もない。

 

学生時代は、実際、「そんなこと本当にできるのか?」と絶えざる懐疑に苛まれていた。

しかし、「それに向かって、歩んできてしまった」ゆえに、「実現の目」が出てきてしまった。

まるで他人事のような書き方だが、実感としてはそうなのだ。