初めからなかった「アジア」と「アジア主義」

学生時代は、「アジア史」を専門にやった、つもりでいた(「東洋史」ではない)。

今となっては馬鹿げた話だが、「アジア」を「存在する実体」として捉え、その歴史を学ぶ、というスタンスでいたわけだ。

 

「踊るだいぶ手前で迷夢が醒めた」、といったところか。

「アジア」などというものは、初めからなかった。

そうした言説も結構触れてはいたが、まだまだ青臭かったのだと思う。

「力」を軸にしたその後の世界の変化が大きかった部分もあるが。

「アジア」とか「アジア主義」というのは、戦前戦中の左派系の国粋主義者・「ならずもの」を踊らせるためのエサに過ぎなかった。

 

といって、別段やってきた「アジア史」は、無駄だったわけでは全くない。

ただ、投じる・信じるべき「理想」は砕かれ、「冷徹な現実を認識するための道具」へと転落した、それだけのことだ。

グローバル化する日本」を受容する土台を作ってくれもしたし。

 

夢は砕けた。というより、初めから文字通り「幻」に過ぎなかった。

別に、その残骸への執着自体もない。

が、新たに「信ずる先」がないと、実存的に困る部分がある。

 

「泥沼」に自らを投ずること自体が嫌なわけではな、い。

が、「自分だけが生き残る」にせよ、「人」だの「国」だのに何がしかコミットするにせよ、「力」と「展望」、両方がなければどうにもならない。

(明確な「展望」があれば、「力」はあとからついてくる、とも思っているが)

 

「抗ってもどうにもならない」戦争の現実を生き抜かねばならぬ。

が、「忍耐強く信じ、地足に地道に這ってでも」守れる、粘り腰を持ち続けたい。

その根源・根本が今はない。

「混沌たる世界の義」というものが。

正義は「一つ」ではない、ことが可視化された。

(それが分かっているだけでも「是」とすべきかもしれないが、「その先」を求めているのだ)

 

「今のロシア」は、「あの戦争時の日本」と重なってならない。

だからこそ、「ロシアを一方的に切り捨て、向こうに回していいのか」という気持ちも湧く。

(それは、戦後の対ロ交渉も、戦前からの対ロ対ソ関係も全て無にすることを意味する)

 

今の戦争の泥沼化こそは、「善悪二元論」式の世界観では行き詰ってしまうことを示している気がしてならない。

しかし、「権威主義」が暴走する歯止めが必要なのも事実だ。

今は、そのバランスが喪われてしまった(100%ではなく95%がた)段階なのだ。

 

日本にも、タテマエとは別に、数々の様々な「権威主義」の残滓が陰に陽に遺っている。

それを容認しはしないが、若い時分と違って、「白黒つけない」こともまた、「オトナの知恵」であることは、だんだん分かってきた。

卑怯な、薄汚い「清濁併せ呑む」「腹芸」といった芸当だ。

しかし、そのワザは、「仁義なき闘い」、果てしない血みどろの潰し合いを避ける知恵の産物であり手法でもある。

その「狡猾さ」「悪賢さ」こそに、「自分も人も生かす」ヒントがありはしないか。

 

それは「狡知」であり、「義」ではない、かもしれぬ。

しかし「人を生かす」こともまた事実だ。

自分の根源にあるのは、「衣食足りて礼節を知る」ということだ。

人は「タテマエ」を喰って生きることはできない。

物質的に生きた先に、「タテマエ」が生きる。

「殺し合い、生き合う」中では、「タテマエ」よりは、生きるための「狡知」、「駆け引き」である。「タテマエ」が作用するとしても、その「駆け引きの道具」に過ぎぬ。

 

ようやく、結論に近いものが見えてきた。

世界に多少ゆとりがあるうちは、「道具としてのタテマエ」を少しは押し出せるやもしれぬ。

しかし、それがなくなれば、もう「力」と「狡知」だけのサバイバルしか残らない。

 

かつて、「割拠」というタームを掲げたことがある。

今は、そこまでの自信、というより「世界への興味」がなくなっている、だろうか。

というより「世界の持続可能性」を信じてないから、「自分自身の持続性」も信じられない、というのが正しい。

 

「死に場所」としての「大義」を求めていたが、もうそれは叶わないだろう。

「政治」ではなく、「器」か、「死に際、すがるに値する」だけの聖典を生み出しに行く、そしてそのために自分の「肉体」を遣いたい。

よそに「大義」を求める、所詮、それ自体が「他力本願」だったのだ。

大義」はなければ、自分で作るしかない。

それが「俺」の出した「答え」であり、「覚悟」だ。