近年、「マルクス・ルネサンス」というような、マルクスの新たな読まれ方や、その読みを展開する思想家が、急速に注目される流れがあるようだ。
自分自身は、そこに対してさほどの本格的な興味は持ってこなかったが、それを求める社会のニーズというかトレンド、感度には理解できるものがあると思っている。
「グローバル規模での経済格差の極大化×気候変動の可視化」に対してどう対処するのか。その問題性に対して、マルクス再読が動員されているのは間違いないだろう。
自分はそうした流れとは別個に、近年、「マルクス本体」をチラチラと読もうとしている。
学生時代は、マルクス本体を読んだ経験はほぼ絶無だったのだ。
とっくに「(哲学的にも経済学的にも)マルクスは死んだ」と感じられていた時代だったのだ。
ただ、完全に無視した・できたという訳でもない。
言うまでもなく、日本の社会理論・思想界や、経済理論やその歴史においても、「マルクス主義」の流れは強く存在してきたからだ。
今回は、学生時代以降、「マルクス(主義)」に対してどのような距離の取り方をしていたかを、軽く振返ってみたい。
学生時代当時は、「マルクス=反哲学・反経済学」だという、明確な(思想史的)意識や押さえ方はまだ不十分だったと思う。
ただし、(マルクス本体というより)「マルクス主義」への胡散臭さや警戒感というのは非常に強く持っていたと記憶している。
なぜか。
自分が当時個人的に用いていたのが、「批判主義」「批判思想」という用語だ。
社会・歴史・政治経済に対し、とにかく「批判」しかしないというスタンス。
(今なお「左翼」全般にそう言えるだろうが)
「批判」自体が悪いのでなく、「何で批判しかしないの?何様のつもり?それでなんでそんな無責任なの?」という哲学的・政治的スタンスへの根本的疑問があったのだ。
今も基本的にその見方は変わっていないと言えるのだが。
ただ一方で、思想史含めて、歴史全般には広くて縦深的な興味があったから、マルクス主義が、社会理論の「柱」として作用していることは掴んでいた。
ただし、その「射程の広さ」までは掴みかねていたし、また当時は当然、「自分自身の視点やスタンス」というものを固められたわけでもない。
その後、自分自身の取り組みを行う中では、「社会学の中で、マルクス主義でない部分」を抽出しようとして、非常に難しく限界性を感じた、という恐らく特殊な経験がある。
(一方、これが根本的な自分の学的・政治経済的経験とも位置付けられるだろうから、それについても機会を改めて述べたい)
「マルクス主義」に対する距離感の掴み方の難しさは、他にも複数あった。
・「外来の思想や理論」、またその言語の構築物であることへの警戒感と拒否感
→その言語を身に付けたり、それにより理論武装したりしたくなかった
→ある程度固まった理論があったとして、日本という社会や現実にどの程度適用可能か掴みかねた
・その理論そのものの「賞味期限」の問題
→マルクス以外に、ソシュールや、フロイト-ラカンなどにもある程度言える。
思想的・哲学的に重要な地位を占め、現代にも影響を与えているとして、その理論を「今でも摂取」していいものなのか?
当時は、そうしたリアタイで情報を持っていたわけではないが、上記理論の「非科学性」の匂いをかぎ取っていた。
→一方で、「唯物論」は「理論」として、物理学はじめ各種科学理論の直接の淵源や影響力を持った部分もある。
その理論史=哲学史には根源的な理解をしたいという、交錯した思惑もあった。即ち、純粋な哲学的=科学史的動機だ。
・「文学」的・「文芸批評」的言説や、そのあり方への距離感の難しさ。
あるいは、自分独自の「反文学」=「反ポモ的文学的方法論」的スタンス。
→マルクス主義は、文学や文学理論にも影響を与えていた。
特に自分が興味があったのは、マルクス(主義)と小林秀雄の関係だった。
それは、(上記「唯物論史」とも関わりつつ)自分の哲学の中核問題の一つを成すに至る。
→それとは別個に、ポストモダン、すなわち主に「現代フランス思想」に属するが、その「文学的方法論」=「哲学の文学化」に強い違和感や拒否感を覚えていた。
それ故に、マルクス主義と深いかかわりを持つポモに対して、哲学的重要性は認めつつも、かなり距離感を持って眺める、といった複雑なスタンスを取っていた。
・経済学・経済理論に関して…
→学生時代は、マルクス含め、「既存の経済理論」本体を学び取る、といったことはあまりしなかった。
既存の理論に対し、全然納得感・興味を持てるものがなかったということと、また当時は数学的・統計的基盤がなかったのと両方だ。
だから学生時代は当然、「じゃあ自分で経済理論を作ってやろう」などとの不遜な野心は持てる状況になかった(そもそも自分が「経済学をやる」という展望すらなかった)。それはずっとあと、むしろ近年のことだ。
しかし、「経済学・経済理論の歴史」の中で、中まで深く踏み込まないものの、マルクスやマルクス主義の流れがあることは知った。
・政治史と政治理論(史)に対して…
→マルクスやマルクス主義が、日本含め世界の政治史や政治理論史に巨大な影響を与え続けたのは言うまでもない。
が、自分の学生当時は、「もうそのまま消滅する」流れかと思っていた。
だから、当初は「共産党の歴史」のようなものを読むことすら、(自分がいかにも共産党や社会主義思想に今更興味を持っているのが嫌な気がして)強い拒否感を覚えていた記憶もある。笑
しかし、上記の通り、「思想史」というべきものは、ジャンルを問わず押さえよう、というのが基本スタンスだったから、社会主義思想史的なものや、日本政治史的なもの辺りまでは押さえ得たと思う。
ただ、マルクス主義寄りの戦後以降の政治理論や政治思想は、上記の通り、あまり近づかなかった。
etc.
こんなところだろうか。
当時は、マルクス(主義)の射程も、自分自身がどうそこに向かうべきかも掴みかねていた。
一方で、歴史・思想史に与えている影響力の大きさの上で、無視することもできず、ひたすら「迂回」戦略を取っていた、といったところか。
また、「戦略」と言えるかどうかも微妙なところだ。
上記の「批判主義・批判思想」への感覚的・主観的な拒否感・嫌悪感という面が強かったかもしれない。
例えていうなら、
「ウナギ屋の外からかなりの距離をもって、ウナギの香りだけ嗅いでいるが、それが本物か偽物かもわからず、だから店に入るのか、そこで食べるのか・食べられるのか、も警戒しながらひたすらうろついていた」
といったところか。笑
(ニセウナギのうな丼というのは、実際に日本の精進料理にもあって、筆者は作ったこともある。興味ある方はクックパッドで探してみて欲しい。w)
マルクスやその足跡の巨大さ自体は、無論認めている。
「マルクス本体」に向き合う勇気・気概が湧いたのは、自分なりに、哲学・経済学だけでなく、数学・科学、政治・社会全般に一通りのスタンスと視点、また戦略の少なくとも見通しを立てられた、という確固たる自信ができてからのことだ。