(長文注意)
慰安婦問題を扱ったドキュメンタリー映画「主戦場」を観了。
とてつもない面白さだった。
実は、それに先立ち、
①『番組はなぜ改竄されたか「NHK・ETV事件」の真相』(2006)
②動画「2000年女性国際戦犯法廷を語り継ぐ」
https://satokonoheya-archive046.peatix.com/
をさらっと見ていた。
(下記で言及便宜のために、番号を付した。表題映画「主戦場」を③とする)
本当は「面白い」と言っては良くないのかもしれないが…
しかし、それ自体が「問題」としての「(歴史的)成熟」を意味することなのだとも感じている。
実は、本格的に「慰安婦問題」を「知りに行く」のは初めてだったのだ。
「面白い」というのも、非常に重層的な意味合いを込めているのだが、まずは簡単に次の2つから始めよう。
1「#metoo到来後」にウォッチしていること
2安倍前首相が死去し、旧安倍派の旧統一教会との関わりが世に明るみに出されると同時に、裏金問題で旧安倍派中心とする自民の闇が暴かれていること
最初に手にしたのが①だったのだが、安倍&旧安倍派重鎮下村博文が登場し、番組介入し改竄させる政治過程もつぶさに描かれている。
当時は、報道でぼんやりと表面的事実のみ知っていた程度だったのだが、「フェイクニュース」「ファクトチェック」という言葉が浸透した今から読み直すと、なかなかの衝撃である。
彼らがした(かった)のは「事実(史実)隠蔽」の表現が正しいだろうが。
順序が逆さまのようだが、そこから「女性国際戦犯法廷」に興味を持ち、ちょうど②という素晴らしい動画に行き会うことが出来た。
若手社会学者永山聡子さんが、金富子(キム・プジャ)さんを招き、「女性国際戦犯法廷」の内容や過程について歴史的証言と講義を行ってもらう内容。
金富子さんは、在日出身の慰安婦問題研究の第一人者。
金さんは、慰安婦問題運動を「90年代の#metoo運動」と呼んでいて、なるほどと思った。
①~③全体に言えることなのだが、全体的に知らないことだらけだった。
「女性国際戦犯法廷」は知らない以前に、勝手に良くない印象を持っていた(「民間人が勝手に集まって日本や日本の戦争犯罪を裁く」といった)のだが、それ自体が完全に歪んだものだったと分かった。
「慰安婦」という存在自体もだが、「慰安婦問題」の歴史的過程を、丹念に追うことが出来た。
②は有料コンテンツ(アーカイブ2024.12.31まで。興味ある方はぜひ視聴して欲しい)なので、あまり詳細に立ち入らないが、自分の感想のポイントを簡単に整理しておこう。
・「慰安婦」問題が、戦後日本の重層的タブーを閉じ込めた問題であること。
特に、金富子さんが、「戦後民主主義には『菊(天皇制)のタブー』があった」と言及していたのが非常にラディカルで刺激的だった。
「性暴力」の権力による隠蔽×人間破壊に関しては、既に映画「シー・セッド」で確認してある。
比較してはならないし本来出来ないとは思うが、「慰安婦」問題の場合は歴史的に途轍もなく根深いタブーが重なり、秘されているわけだ。
・日本における「慰安婦」問題運動の、「加害国女性としての応答」の意義の認識
・女性国際戦犯法廷は、「民間法廷」という建付けではあるが、ICJ他国際機関のエキスパートを結集していたこと。
ヴェトナム戦争時「ラッセル法廷」を参照事例としていたとのこと。
また、当時は南北融和の状況から、「南北コリア検事団」が実現したという。
・ニュルンベルク-東京裁判を批判し、「女性や植民地住民の視点を初めて盛り込んだ」意義が評価されたこと
・ICJ前所長小和田恒さん(現皇后の父)が、宮澤政権時代に外務次官として慰安婦問題処理に対応していたこと。彼は、若手時代に日韓基本条約作成にも関わっている。「戦後皇室-日韓関係」の外郭が浮かび上がってくる。金富子さんが小和田さんに直接詰め寄ったというエピソードが非常に面白かった。
「天皇の義父」元国際司法裁判所長「『慰安婦』、法的整理以上のことすべき」 : 日本•国際 : hankyoreh japan
・本動画セミナー参加者の質問も極めてクリティカルで刺激的だった。
日本国内では「慰安婦」問題支援者内でも、「インターセクシュアリティ」の問題があり、男性支援者は、「女性国際戦犯法廷」開廷を快く思わなかったという。
また、②のホスト永山さんのゼミ内で「女性国際戦犯法廷」について扱った時は、男子学生が「国家の権威がなくなる」など反発の感想が目立ったらしい。
記事としてはおかしな順序になったが、ようやく表題映画③の感想になる。
制作者ミキ・デザキは日系米国人youtuberという。
全体を通して観ていく中で、「韓国人が慰安婦像を米国にも建立しようとしたこと」「それに対する安倍政権の対韓措置」にも、今までとは違ったグラデーションの見え方が出てきた。
もう一つ意外だったのは、今の日本の学校歴史教育では慰安婦問題が全く取り上げられていないため、日本の子どもたち(中高生辺り)は「慰安婦問題」を知らない様子が映されていたことだ。
自民政権が、愛国心やら学校教育にテコ入れしていたことは聞いていたのだが、「歴史教科書から全く削除していたのか」というのが少々新鮮な驚きだった。
これは確かに海外に行ったら恥を掻くことになろう。
(中朝ロなど)権威主義国家と同じでは恥ずかしいというものだ。
本映画では日本の「歴史修正主義」者たちが、どのような言動で、「慰安婦問題」に介入しようとしているか、その生々しい声を、重要人物から引き出している。
その中で、筆者が面白いと思ったのは、「新しい歴史教科書をつくる会」の悪名高いデマゴーグ藤岡信勝の、「国家というのは謝罪してはならないんですよ」という言葉だった。
この言葉は、「慰安婦問題」を「重層的タブー」として秘そうとする動機の重要な部分を示唆しているように思えたのだ。
「慰安婦問題」に秘された「重層的タブー」とは何か。
主に、次の2つに収約できると見ている。
1「戦後天皇制×米国×戦後憲法(戦後民主主義)」の「すれ違い野合&もたれ合い」構造による、戦後日本アイデンティティの双頭分裂レジーム
2戦後国際システム構築から見逃された「植民地責任」
前記事でも書いたが、筆者は個人的には、かつて「謝罪派」とも呼ばれたリベサヨの政治姿勢に懐疑的だ。
分かりやすいところでは、リベサヨ内で「天皇の戦争責任」を言及する中でも、「天皇制廃止」論者はかなりラディカル寄りに当たる。※
現代では、「天皇制廃止」を(理論ではなく)具体的に(=実現可能な政治プロセスとして)考える人物はあまりいないと考えられるが、それを「合法的に」行おうとすれば、「改憲(第1条)」するしかない。「絶対的護憲」が「正義」とされるリベサヨ勢で、果たしてそれを主張することは可能なのか。
次に、日本ではかつて「戦争責任」は追及されたが、「植民地責任」は日本だけでなく、欧米でも正面から法的には追及されていない。
それを行おうとすると、上述の通り、(植民地支配を見逃した)第1次~第2次大戦の国際秩序、また瑕疵のあったニュルンベルク-東京裁判体制にも異議を唱えねばならなくなるからだ。
米国嫌いなリベサヨ勢内でも、戦後「国連(旧連合国)」中心の国際法秩序に異を唱える人々は圧倒的少数派に属するはずだ。果たしてそこに切り込む「覚悟」が、日本のリベサヨにあるのか。
戦前の植民地権益が、列強内で「相互承認」されていたのは周知の事実だ。
戦後、アジア(東南アジア)においては、欧州諸国が「植民地責任」を殆ど不問となったのは、皮肉なことだが、日本軍が各国軍を植民地から追っ払ったからである。
彼らの数百年の「植民地責任」の代わりに、僅か数年間の軍事行動で東南アジアにおける「戦争責任」を背負ったのは日本だ。
最後の最後の局面では欧米と対立したが、「植民地責任」に関しては、本来欧米とは「共犯」だった筈だ。
日本が「植民地責任」を問われるというなら、当然、欧米にも同様に背負う義務がある(特に欧州はアフリカ諸国に対して)。
これは逃げたり目を逸らそうというのではない。法的な筋論の話である。
筆者は、日本のリベサヨには、上記2つのどちらの「覚悟」も絶無だと見ている。
というより、恐らく事の本質が「(植民地責任の)法的責任の追及」にあるとの理解が、リベサヨ勢の大部分にないのではなかろうか。
(ポストコロニアル秩序においては、旧被植民地国民だけが、その「戦後法秩序」のおかしさに気づけた)
彼らが「反省と謝罪」に走るのは、思考力・洞察力の欠如と同時に、(歴史修正主義に走る右派同様に)「本当のことは分かりたくない」という意識が底にないだろうか。
それを知ってしまったら、憲法も国際法秩序も、自分たちが基盤にしていたもの自体を根幹から揺るがせてしまう。
そして、「法的責任」を果たすためには、「行動」しなくてはならない。
「被害者、加害の事実、悲惨な戦災」に向き合っているフリはしたいが、自分たちが変わったり、行動したくはない。
だったら、ひたすら「反省と謝罪」を繰り返すに尽きる。
それなら、口先だけの言い逃れで、その場をやり過ごすことはできる。
「反省と謝罪」は、実はその地点から一歩も動こうとしない、というのがポイントである。つまり、「保身」であり「保守」のアクション(というよりポーズ)に過ぎないのだ。
それが、「戦後民主主義左翼(リベサヨ)」の正体であると同時に限界である。
そして、外交面で「謝罪」カードしか持たない(持ち得ない)リベサヨは、国内世論の説得という点では、(いかに「歴史修正主義」的であろうと)保守派に対して勝ち目がないのである。
「慰安婦問題」は、「日本右翼」にとってだけタブーなのだと捉えるのは浅薄で、実は左翼にとってもタブーなのだ。
だから表面的な「反省と謝罪」を繰り返して、お茶を濁してやり過ごそうとする。
戦後日本の右翼と左翼は根っこは同じ。
「米国-米中連合国(国連)秩序」からも逃れられない。
「戦後天皇制×憲法」により、無理くり「パンドラの函」の蓋を閉じてある。
しかしその「パンドラの函」は、実際には日本だけでなく、他の旧連合国にとっても脅威なのではないのか。
そのカギを握っているのは実は日本だとすれば、少々痛快ではないか。
しかも、その場合、「軍事的戦争」ではなく、「文化戦×法廷戦」の形で、「アジア太平洋戦争」(日本にとっての「大東亜戦争」)のリベンジを果たせるのである。
戦後国際法秩序×戦後憲法体制下において、「あの戦争」を「戦争・軍事行動として」肯定することは難しいだろう。「解放戦争」としてはもちろん、「自衛戦争」としても。「植民地権益を守る」(満洲含む)ことが、戦争目的の主眼に置かれていたからだ。
「一度ついたウソをごまかすために、更に別のウソをついて、延々ウソをつき続けなくてはならなくなる」というが、現代の米国の戦争を見ていると、同様のことを感じる。
「戦争でできた歪みや穴を、さらに別の場所や時代での戦争を起こすことで埋めようとして、さらに歪みを拡大していく」という。
「あの戦争」の日本にとっての正体は、まさにそれだったのではないか。
それを誤魔化す必要は、今さら特にないだろう。
では、「あの戦争」は0だったのか?否。
歪んだ権威主義の国家であり、軍事行動を伴いつつも、「欧米中心の国際秩序」に(初めて)「異を唱えた」。
その「(現代にも引き続く)問題性」であり「問題提起」にのみ、唯一「(部分的な)義」を認められると考える。
「異を唱える」には「軍事行動」を伴うよりなかったし、アジアにいる他の列強全てを敵に回す以上、戦線を東アジア全域に拡大するよりなかった。
そしてその「裏側」の問題こそ、まさしく東アジアの戦場全域に存在した「慰安婦問題」だったのである。
右翼・保守の人々には気の毒で辛辣な言い方かもしれないが、「歴史修正主義」「歴史否定論」では、「あの戦争」の「義」を引き継ぐことは出来ない。
「義」を引き継ぎたければ、「東京裁判史観」を批判的に継承して「超克」するよりない。
今度はこちらから、匕首を「欧米=旧列強」諸国に突き付けてやるのだ。
今度は、軍事力ではなく、戦後日本が培ってきた文化力=法の力において。
戦後東西冷戦均衡の基軸となった「国連(旧連合国)」秩序を脅かされるのだから、中ソ(中ロ)の側も本来困る筈である。
(もっとも、既に事実上、「第3次大戦」の戦端が開かれているとしたら手遅れかもしれないが)
「それでも、『パンドラの函』を開いていいの?」と。
「せっかく、旧連合国で寄ってたかって牙を抜いた『俺たち(日本と日本人)』を本気にさせていいわけ?」と。
随分筆が滑り過ぎてしまったのだが、「慰安婦問題」に関する考えを述べようとするなら、「戦争責任」「植民地責任」全体と、内外政治構造全体を広く深く見つめた上でなければ意味がない。
長文になり恐縮、かつ最後になるのだが、「慰安婦問題」そのものへの政治スタンスを整理して、結びとしたい。
基本的な自分のフェミニズム・男性学に対する政治スタンスは、別垢でも述べている通り、「中道(保守中道)」である。
自分の「慰安婦問題」へのスタンスは、以下4つに整理できる。
1「慰安婦問題」は、最終的に政治問題・歴史問題としてではなく、「人権」問題として対処されるべきこと
2「内政」と「外交」は区別すべきこと
「元慰安婦」への性暴力と、日本国内・社会への女性差別・性暴力が通底しているというリベサヨの議論は、筋論としては正しい。
が、現実には、「元慰安婦」への補償と、国内の女性・ジェンダー諸問題とは全く別個の次元の問題だ。
はっきり言ってしまえば、「元慰安婦」に対する補償問題が進むかどうかは、国内の女性・ジェンダー諸問題解決とは直接の繋がりはない。
そうした理念性重視は重要であるし、また「外交」としての「慰安婦問題」は解決されるべきだが、それは「元慰安婦」支援の学者や運動家に任せればよい、というのを個人的立場にしている。
ただし、「慰安婦問題」に対して、全く「当事者性」を放棄している訳ではない。それについては下記4で詳論する。
3対韓関係(対中関係も)は、常に「重層的」であるべきこと。
「隣人、隣国同士だからこそ、いがみ合ってもいい」というのが基本的な政治姿勢となる。
しかし、「本気で事を構える」ことは互いに避けるべきで、そのための努力は相互にすべきだ。
韓流ブームのおかげで、日韓間の民間の交流は深まり、相互のカルチャーへの人々の理解や意識は高まった(同時に「嫌韓流」などのヘイトの高まりも無論見逃せないのだが)
韓国は新興国としての立場を国際社会に確立し、成熟もしている。
「互いに大人の国どうし」の関係を目指すべきで、それに近づいてもいる。
「歴史問題」というのは、すれ違うのが当然のことではあるが、だからといって対話をやめるのではなく、「すれ違う、いがみ合う」のが前提で、対話・交流を続けるべきである。
「歴史観」以前に、「歴史学」の営みそのものが、日韓(あるいは日中韓)で異なるのだから、分かり合えないのは当然である。
かつてのリベサヨ謝罪派の唱えた、「ずっと反省・謝罪すべきだ」というのは馬鹿げている。「謝罪」があっても良いが、「重層的な交流の選択肢の中の一つ」に収めるべきだし、「政権交代ごとにまた0から」になる韓国の政治社会風土の悪弊は、日本側から指摘があって当然良い。そうした「相互性」の上に、初めて互いのルール作りが可能となる。
安倍政権の対韓姿勢は(その「歴史修正主義」的姿勢とは別に)「謝罪だけでなくてもよい」ことを内外に示した画期的な意味合いがあったことを、高く評価する立場を取る。
歴史問題は、これからもいがみ合い続けるし、そうあってよいと考える。
韓国には、日本の「植民地責任」を追及する権利は無論あるが、日本は日本で「じゃあなんで自分たちで近代化してくれなかったのよ?」という「言い分」がある。
(これは中国からの「戦争責任」追及に対しても同様のことが言える)※2
「総論賛成、各論反対」でも議論はなかなか進まないことは、容易に想像されるのだ。
しかしそれでも、いがみ合いが時にあったとしても、再び「同じテーブルにつける」関係であり続けるべきだ。
そもそも「外交」というのは、相互的なものであるべきだが、韓国も日本も、右翼も左翼も、そうした根幹自体を見失っているのではなかろうか。
激しい「歴史戦」が生み出した相互の社会分断は、両国の両陣営が、互いに猛省すべきである。
4 日本国内では、若い世代からの歴史問題糾弾のリスクが今後あり得ることを、上の世代は覚悟しておくべきこと。また、それに備え、内外に受皿を作っておくべきこと
今の日本の若者は、歴史に無関心かつ、保守的な傾向が強いようだが、「SDGs」教育がデフォルトの彼らは、考え方が昭和世代とはまるで異なる。
職場でも性的問題でも、公正な扱いを求めるのが自然である彼らが、歴史問題に関する理解を深めたら、「慰安婦問題」が「人権」面で不公正だと主張することは当然想定される。
そこで、世代間断絶を深めるのでなく、それは内外間・世代間対話を深める好機であり、唯一のチャンスではなかろうか。
これは筆者個人の姿勢・取組に過ぎないが、それに備えた内外への受け皿を作りに行くべきで、また行こうとも考えている。
いかがだったろうか。
筆者の議論は、「右に対しても左に対しても」極限的にラディカルである。
「ナショナリズム」の立場ではなく、「左の立場からの」「大東亜戦争(部分的)肯定論」と言っていいかもしれない。
筆者の立場は、現代左翼・右翼双方の「戦後責任」を追究しつつ、また「戦前日本」と「戦後日本」の両方を超克した上で、「問題性・問題提起」としての「アジア太平洋戦争-東京裁判(史観)」の意義を捉えてすくっていく。
自分はなぜこのような立場を取るのか。
「歴史家」でも「政治家」でもなく、「哲学」の観点から、そして「日本-日本人」の立場から眺めたらどうなるか、また、「反省と謝罪」だけに拠らずに、なおかつ「自らの節や理」を曲げずに、積極的なアジアと世界の未来構築に携わっていきたい、という真剣な思いがあるからだ。
※筆者は「天皇制」に関しても、かなり独自のアイデアがある(いわば「グローバルな文化的天皇制」)のだが、逸れるので別の機会に扱う。
「憲法」「戦後平和主義」に関しても同様である。
※2 前記事で述べた、ドイツのホロコーストに関する「歴史修正主義」「歴史否定」論との根本的相異は、「歴史認識の相互性」である。
「『戦争責任』『植民地責任』を認めることに異論はない。しかし…」ということなのだ。
ドイツのユダヤ人との関係は、「国家による民族の迫害」であるが、日韓(朝・台も)間は「国-植民地」間、日中間は「国家間」、日・東南アジア間は「国家-占領地」間の問題である。(他にも、占領地・戦場・関与国は、豪州・タイ・インドその他広大にわたるが各地詳細事情は今は省く)
「ナチス・ドイツの欧州侵略の戦争責任の追及姿勢」から「日本の戦争責任」を類比・類推したい場合も、史的条件や政治関係の相違を明確にしたうえで行うべきである。