社会学へのスタンスとその推移

気付けば、社会学も意外とやっている。

焦点に置いたことはなかったし、学生時代は(「社会学」という分野というか営みそのものに対して?)反発したりしていた気がするのだが。

一方で、哲学をやる以上、近代以降は無視することはできない。

 

ただ、学生時代は、「自分が置ける・置きたい社会学のポジション」が(既存の学界上に)「無い」ことをひたすら確認するだけの作業になっていたのだ。

自分がやりたかったのは「経営社会学」だったのだが、社会学界内では「生きた」ポジションやテーマとして殆ど存在しなかったのだ。

(「産業社会学」「労働社会学」というものは有力だが、著しく「労働」=マルクス主義寄りで、受容しがたかった。つまり、「経営学」との接点・交差点が準備されてない、と感じたのである)

 

社会システム論・メディア論には興味を持った。

が、ルーマンは抽象的過ぎた(し、中身を吟味をすると実際性に乏しい)。彼の視点を参照しつつ、「自分で組み立てる、再構成する」という方向性に転じたのは、ごく最近のことだ。

 

哲学と重なり合う、社会科学の理論部分に当たるところは、「広く薄く」カバーはした。

以前も書いたことがあるが、ともかく戦後社会学では、マルクス主義の理論的影響があまりに大きく、それらを捨象しつつ参照するというのが面倒極まりない作業なのだ。

 

これも後から気づいたのは、自分が著しく「経済学・金融理論寄り」であることだ。

社会科学的統合の視点においては、自らの「経済学・金融理論」を基軸に据えるのが基本構図となる。

 

ただし、整理が難しかったのは、「歴史」「法」部分との兼合いではなかったか。

今も詰めている段階に過ぎない。

「経済学・金融理論」だけで、自分の社会学的視座を全てをカバーできるわけではない。

(法、法学、法実務部分に関しては別垢ブログで扱うのではないかと思っている)

 

自分は、マルクス主義、正確には「運動主義」を忌避している。

が、完全に否定しているという訳でもない。

自分の中にも取り組みたい事業があって、それに運動的要素が無いという訳でもないからだ(「街頭運動」性は0なのだが。それこそが自分の「運動」の特異性と言える)。

 

「社会運動史」もまた広く薄くやってきたからこそ、割と勘所は押さえやすい。

つまり、知的には大いに参照できる部分があった訳だ。

(「何がしたい」というより)「どのようにやりたいのか?」という方法論の点で、「反面教師」ないし「否定命題」として機能してくれた、と言っていいだろう。

 

現実の社会観察とか社会分析(統計的手法を用いる等)において「社会学的手法」を用いよう、という動機は自分の中には「ほぼ」なかった。

敢えて学問的方法論に出しゃばられなくとも、自分自身の従来持っている観察眼とか、「職業」の範囲内での分析で十分だと感じていたからだ。

 

例外的領域は、「科学社会学」(に近い)領域だろう。

学界とか各種業界・業界構造、また資本市場や国際政治・財界(総力戦体制論や環境政治学)といった領域の「知的・学術構造」自体にメスを入れる、という(言わば「学術政治」的)視点だ。

リスク社会論的関心も、広義にはここに組み入れてよいだろう。

(これもフーコー的だと思われるかもしれないが、用いるフレームワークはそうではない。上述の「経済学・金融理論」が中核にある)

 

社会学」は、(主体的・積極的に、自己内の中核に据えて)「やろう」と思ってやってこなかった、というのが自分のスタンスの特色だと思う。

「どうも掴みどころがないな」とムカムカモヤモヤする気持ちがありながらも、「無視できない」という直感がはたらいて、各種理論書の拾い読み・斜め読みで過ごしてきた、とでもいうのが正確なところだ。

また、自分周辺に社会学をやる人や、また有名な社会学者に直接会いに行き刺激を受けたということもあった。

 

ただ、「サイド(脇)を固める」意味合いは間違いなくあった。

「何をどうやればいいのか?なぜやっているのか?」も分からないまま、グルグル回り続けていただけの「甲斐はあった」。

「社会」といった時の多義性・重層性を、当初は掴み切れていなかったのだ。

「学界・業界」とか「国際社会」、「資本市場社会」といった特殊な世界を対象に攻めたかったのだ。

その(自身固有の)テーマ性が分からない中で、「何か得られそうだし、拾っておかないといけないのでは?」といったカンだけで来たといっても過言ではなかろう。

 

(ややこしくなるので、言語思想・言語哲学言語学と重なり合う部分は除いて論じた。それらについては別の機会に整理したい)