今年最大の、そして嬉しい発見は、「自分と同世代で出色の日本の数学者」の存在を知ったことだ。
「90年代ジャンプ」イズムとでも言えばいいのか、「すごい奴に出会いたい」という動機は未だに「生き」ていたのだ。
同世代の研究者については殆ど意識することはなかったのだが(初めて「少しだけ先を越された」と感じたのは成田悠輔だった)、これからもっと「面白い奴」は出てくるのではないか、という予感はある。そこへのワクワクがあるのだ。
その数学者は、自分とは全然別のアプローチから、自分とも共有できる部分の問題群やフレームワークを扱おうとしている。
(たぶんまだ、「成功」していると言えるほどの段階には至っていない)
思想の世界で言うなら、自分にとっての東浩紀の布置関係に近いか。
当ブログでは数学的トピックは扱わない想定だったが、哲学部分との関わりが深いので敢えてこの機に書き記しておくことにした。
自分の数学へのアプローチも、現代数学へのアプローチも極めて特殊だったが、最近ようやく、急速に展望が拓け始めた。
(「理系からの文転」組の有名哲学者は結構いるが、自分は「哲学からの数転」組という非常に稀なパターンだと捉えている)
数学といっても、確信が持てるようになったのはごく最近で、誰も同様のことを考えておらず、「これは数学なのか?一体俺は、何を、何のためにやっているのだろう?」という懐疑の念に絶えず脅かされていた気がする。
確かに工学・物理学寄りではあるが、それだけではない。
「空間科学」全般であって、実装に随い肉付けされていくだろうという見込み。
(今回は「認知科学」については複雑になるので触れてない)
科学哲学のほうは、(科学史とセットで)非常に馴染み深い領域だが、この数年は完全に塩漬けにしていた。
「哲学」よりは「実装」を最優先にしたからに他ならない。
「論理学」というのは、近年はディープラーニングのおかげで、急速に実践・実務ベースでの応用が着目されるに至ったのは非常に画期的なことだと思っている。
とはいえ、今のところはAIないし確率・統計理論学習に留まり、伝統的論理学体系の中に十分に整合させられている印象はないのだが、確実にその方向にシフトしていくだろう。
哲学は、20世紀中盤以来の、大きな変動期・変革期に当たるのは間違いない。
自分のやや独特の「哲学史」観なのだが、「哲学の刷新」というのは、必ず「同時代の数学との接点」に触発されている、と捉えている。
その動きは、自分の見るところでは、現代哲学は田辺元で止まっている。
田辺以来で「次へ」を目指そう、というのが自分の狙いなのだ。