「戦争犯罪」系「言説」との「距離感」

今日は思い立って、とある「戦争犯罪」系歴史展示を観に行っていた。

嫌な気分になるかと思ったがそうでもなく、むしろ結構面白かった。

国際色豊かな独特の展示で、いろいろなことを考える契機ともなった。

 

先般の参院選では、参政党が躍進し、「遂に日本でも極右政党が伸長」と注目されるに至っている。

自分は実は、あまりその現象自体にはさほどの関心は持っていないのだが…

 

自分が気付いたのは、日本の政治社会の「バックラッシュ(反動)」には、大きく分けて「1990s後半~」と「2010s後半~(安倍自民以降)」の「前後半」に区分できないか、ということだったのである。

 

なぜこのような独特のことに気づいたのか。

自分自身の、「アジア史」をやっているが故の、独特の立ち位置を振り返ろうとしたのがきっかけだったのだ。

自分の「歴史」的営みの原点に、上述の「前期バックラッシュ」は位置していた。

その頃は、非常に「保守」寄りの言説を摂取していただけに、いわば「日本の戦争犯罪」系の言説なり歴史なりというものは(「リべサヨ」系言説とともに)「忌避」していたといっても過言ではなかろう。

 

その手の「歴史」を「見たくない」ということだったのか?

「辛気臭い、不快な」自国・自民族の「加害」「罪」の歴史を見たくない、といった主観的側面も当然あったとは思うが、それだけでもないのである。

違和感のあったのは、「終戦50年」といって、その手の「歴史観」を左翼が「押し付けてくる」そのこと自体にあり、それが出発点となったのである。

 

戦争犯罪」といって、「なぜ日本のことばかりやろうとするのだ?」という左翼連中の営みや姿勢のおかしさに当然向くわけだが、「戦争責任」「植民地責任」にせよ、「日本を追究したければ、欧米も当然『セットで』やるべきではないのか?なぜそうなっていない?」といった方向へと、自分の関心は向いていったわけである。

したがって、単純な「見たくなさ」というよりは、自己内部では(一応)「歴史を知り、考える優先順位」といった位置づけが成されていたわけである。

 

「歴史」をやろうとするときに、「アジア史(一国史などでなくアジア全体の歴史)」という「総体」を取り上げようとするのは、あまりに「無謀」だったかもしれない。

「なぜ?」と言われても、あまり十分な回答が、今でもできるとは言い難い。

強いていうならば、「出来る限り、自分の『アイデンティティ』を広く取りたかった。『アジア人』たろうとした」といったところだろうか。

 

「アジア」というのは、「他称」として生じた概念である。

だが、自己規定するアイデンティティとして、「アジア」「アジア人」というものを、自ら選び取りたい、と感じたのである。

 

自分は、「アジア史」といったときに、(植民地支配と戦争という)「日本の加害」ばかりを論おうとする「近現代史中心史観」そのものに、強烈な反発心を抱いていた。

「なぜアジアには、古代から連なり・繋がりがありながら、勝手に『近現代』で区切ろうとするのか?」

それは明らかにポジショナルな歴史の営みに他ならない。

 

「アジア史」といったときに、単に広大であるだけでなく、可能な限り「前向きな歴史」としてそれを摂取していきたい、と思っていたのである。

それは別に、「修正主義」的なものではない。

特段の根拠もないのに、勝手に「近現代史」で区切ろうとするほうが、よほど「修正主義」ではないのか。

 

戦争犯罪」「戦争責任」といったものから「逃げたい」という思いがあったというよりは、あくまでそれらは「(大きくはあるものの)歴史上の点」として捉えたい、という意図があったのである。

「戦争の歴史」というものがあるとして、それを、「勝手なバイアスから、どこかしらの陣営のものを」押し付けられたくはない。

「歴史」というものそれ自体から、自ら「再構成」した上でその営みに臨みたい。

そうしたあまりに無謀な「事前準備作業」に異常な時間を費やしてきたと言えるのである。

 

当ブログでも述べたかもしれないが、第2次安倍政権当時は、政治的関心そのものから「自己疎外」していた。

政治や歴史的な営み自体を、殆どしなかった。

忙しく余裕がなかったことと、嫌気がさしていたのと両方である。

そこではいきおい、自らの「アジア史」的関心も「宙づり」になってしまっていたのである。

 

以上の(歴史ー政治的布置に関する)自らのポジショニングというのは、極めて特異なものであることを認識してもらえるのではないだろうか。

「ナショナルな問題意識に端を発しつつも、敢えて『グローカルな』、『アジア』という独特の『アイデンティティ』再構成を目的として」歴史=アジア史を行う、という。

 

そうしてしばらく宙づりになってきたが、近年はそれらを、勉強・研究といった側面よりは、「実生活ベースで」、旅行などから取り戻す機縁を得てきた、といえる。

自分からすると、中韓、他のアジア諸国が「経済成長」を果たして、「社会的成熟」を次第に遂げていき、かつてのような「日本バッシング」一辺倒にならなくなったことそれ自体が「ありがたい」変化だと感じるようにもなったのである。

 

今回、「戦争犯罪」系の歴史展示を「面白い」と感じるようになったのには、もう一つ理由がある。

「技術的」な部分にも興味を持てるようになった、ということなのだ。

 

少し古めかしいスタンスかもしれないが、一応姿勢としては「左右双方に偏りなく」といった名残は自らの中にはあるのだと思う。

近年はしかし、「ナラティブ」や「フェイク」の影響が強すぎて、そもそも「言説」に対する関心そのものが薄れてしまった状況と言っていい。

自らの関心は結局は、「史実」「ファクト」のみに収約されざるを得ない。

 

ただ、そこでは別に「修正主義批判」をしたいというよりは、(権威主義となった世界の)「力の真実」を認めざるを得ない、という「現実主義」的なスタンスを持っている。

結局のところ、「修正主義批判」は「部分的正しさ」があったとしても「きれいごと」で、所詮は「力の真実」が支配する現実の中では「ほぼ無力」でしかあり得ないだろう。

「ほぼ」といったのは、一応自分の中にも、まだ「法治主義」「法の支配」に期待をかけたい気持ちが、辛うじて残っていることを示したいからなのだが…

 

「ファクト」があったとして、そもそも「ファクト」など世に溢れているではないか。

その中の「どれを摂取」することを優先していくのか?

「修正主義批判」の重視する「ファクト」というものは、いずれ「力」の前に押し流されざるを得ない。

自分はそうした「リアル」を、冷徹に見つめているのである。

抵抗したければ、歴史学者や運動家になればよいだろうが、それは自らの目的には入らないのである。

 

今となっては、自らの「アジア」「アジア史」的関心が、「自らにどのような意味を持つのか?」は今もって「見失ったまま」である。

アジアの現実は、「対中警戒による再帝国主義×アジアの新興国権威主義との野合」という路線に「収束」しつつあるからだ。

 

だからといって、自分の上述の史的関心は、「民主主義にかけた『夢の残骸』」に過ぎないのか?

数年前の(中国の香港弾圧、ロシアのウクライナ侵攻といった)段階では、そうして「絶望」していたのは間違いない。

確かに、今後も、日本を含めて「権威主義」がますます強まるのは間違いない趨勢と言える。

が、「希望」にはならないだろうが、差し当たりの「生活規範」にはできるし、グローバリゼーションまでが「死んだ」わけではない以上、仮にどこかの地域で締め付けが強まっても、「転戦」はできる。

権威主義」は、現代では、必ずしも簡単には「全体主義」的動員は出来ない。

できるのは中朝ロのほか、トランプの米国(!)なのである。

 

中朝ロは、いずれも「アジア(ユーラシア=大アジア、汎アジア)」に含まれている。

アジア全体が、やがてそれに吞み込まれていくのだろうか?

若き自分は、当初「民主主義」にかけていたことは言うまでもない。

それははや「夢の残骸」に過ぎない。

 

権威主義」は、確実にそうなるにせよ、その「在り方・在りよう」そのものは、まだ「選択の余地」はある。

「敗北主義」だと思われるかもしれないが、自分は上述の通り「リアリスト」で、「力」の信奉者でもある。

ここにはだから「希望」というものはない。

が、「ギリギリまで、カードは自らの手の中に残しておけるようにする」。

「民主主義」に対して、ギリギリまで「義理」は果たせるようにしておければ十分、という構えでいる。

 

「アジア」というものに、「自分」をどう賭けたいのか。

大切な「第2章」の再始動する一ページとなったようだ。